Truth myself

coco

私には、消すことの出来ない言葉があります。

どのような状況の時も、どのような出来事が起きた時も、

いつも心に浮かぶ言葉。

”Truth myself”

 

8年前、私は食道がんの大きな手術を受けました。

そして術後も、定期的に肺に3リットルもの水が溜まり、

それから4年間の間に5回も入退院を余儀なくされました。

 

当時、傍から見える私の姿は、小枝箸のようにやせ細り、

まるでアウシュビッツのようだったと友人から聞かされました。

彼女はもうカンバックは無理だろう・・・。

そう呟かれていたと。

 

検査結果はいつも白。

なのに、原因不明のまま水は容赦なく肺をプールのようにしたのです。

 

その度に、毎回、脇腹から肺の中に管を通して、一週間かけて水を抜く施術を受けました。

水が溜まるこの状態は一生繰り返されるのかも知れない、と内心覚悟をしました。

その原因が、極度の栄養失調からだったことを様々な文献から知ったのは、随分経ってからです。

 

そんな状態にあっても、私には絶対に譲れないことがありました。

それは「東京で事業へのカンバック」と言う強い思いでした。

 

正直な事を言えば、癌になった事より、スタートさせたばかりの事業を

ストップさせなければならなかった悔しさの方が、何倍か大きかったのです。

この世に怖いものなど何一つなかった人生が、まるで回り舞台のように一変したのです。

 

幸いにして、鳥取にある一方の会社には、退院後すぐに復帰しました。

主治医から心配されながらも運転した、母が大好きだった真っ赤なアウディ。

その重たいドアの開け閉めが思うようにできず、運転席側の内側には私の爪痕が沢山つきました。

車に乗るたびに、その爪痕は、私の現実を突きつけました。

 

今から5年前、母が亡くなった4月のある朝、

書籍の整理をしていた時に東京の友人が送ってくれた一冊の本を見つけました。

手術が決まった日の半月ほど前に届いた本でした。

 

その頃、きっと私にはそれを読む余裕はなかったのでしょう。

タイトルすら覚えていませんでしたから。

私は何気なく、そのⅠ頁を開きました。

“Truth myself”

そこには英語の綴りが。

「自分自身を信頼せよ」

 

「自分自身を信頼しなければ、心はすべてを裏切るあなたを見るだろう」

春の日差しの差し込む窓越しにしゃがみ込んで、その言葉に私の瞳は釘付けになりました。

Truth myself

それは、私が最も必要としていた言葉だったのです。

 

私は洗面所の鏡に、自分の顔を確認しに行きました。

いま、私を見つめるこの眼差しは、私を信頼しているだろうか・・・

自分自身を信頼している眼差しを取り戻さなければ・・・。

 

私はその言葉を手帳に書きつけました。

そして自分の見えるところにその言葉を貼りつけました。

オフィスの机、寝室、書斎のあらゆるところに。

毎朝、毎晩、その言葉を声に出して唱えたのです。

 

朝、メイクをする鏡の中の自分に向かって、その言葉で語りかける。

「truth myself。大丈夫。あなたは絶対にカンバックする。

 今もこうして立ち上がっているのだから。」

その言葉は、私の背筋を伸ばし、真っ直ぐに顔を上げさせてくれました。

“決してうつむいてはダメ!凜として歩くのよ”

 

身体が回復することだけは、何故か確信がありました。

そんな私が最も必要だったこと、

それは心が折れない事でした。

 

私は精神論者でも、理想主義者でもありません。

いつだって、人は現実の中に生きていると確信している人間です。

リアルタイムに人生を生きること。

それが私の考えです。

 

人は人生の中で、様々な出来事に遭遇するでしょう。

言い換えれば、生きるという事は、選択と決断の連続です。

その時、私はいつも自分に語りかけるのです。

“truth myself”

いま、私は東京の事業に、そのステージを踏みしめています。