Profile

 

prof06小渕 良子  ( こぶち よしこ )   東京都台東区生まれ

 

 ■幼い頃は国会議事堂の中で遊んでいた

国会議事堂の中庭、赤い絨毯、大理石の階段・・・。
そのすべてが子供の頃から馴染んだ風景です。

国会が休会の時は、大理石の階段の手すりを滑り台のようにしては、一人で遊んでいました。

いつも守衛さんがいて、サッと敬礼して「ありがとうございます!」と言って、
深々と礼をするのをチョッと誇らしく見ていたものです。
祖母が店の特製いなり寿司を生物で傷むのでと差し入れた時の事でした。

 

■たった一つだけのルール

実家は戦前より2000年まで、3代にわたり国会内及び衆議院会館で寿司店を経営していました。
歴代の大臣達が若い頃から常連客として訪れていたようです。

屋号は金寿司。金寿司の看板頑固主は、私の祖父。
どんなベテラン議員も新米議員も、分け隔てなく対応していました。

そんな祖父でしたが、一人っ子の孫娘の私には、まるで目がありませんでした。
ですが、ひとつだけ、私に言ったルールがありました。
「決してお店には出てきてはいけないよ」
「ここは、お国を預かる大切な人が来る場所だから、お前の出て来てはいけない所なんだよ」

 

■一流の紳士に共通していたのは・・・

子供の私には、政治の意味などわかるはずもなかったのですが、

厨房から垣間見るその大切なお客様の風景は、子供心に緊張感を持たせるに充分な雰囲気がありました。

私はその大切なお客様である一流の紳士達の立ち居振舞い、話し方、顔の表情をジッと観察するのが習慣になっていました。

一流と言われた人達に共通していたのは、
誰に対しても礼儀正しいマナー、行き届いた振る舞いだったのです。
議会の食堂のウエイトレスさん達にも、丁寧な言葉使い。
守衛さん達にも「ご苦労様」と挨拶。
一流と言われた人達は、決して横柄な態度は取らなかったのです。

 

■大学浪人中にスカウトされて代議士秘書に

私がスカウトされて代議士秘書になったのは、特別な事ではありませんでした。
永田町は親しんだ街でしたから、普通に議員会館に勤務するようになりました。
選挙区が鳥取だった代議士は、やはりお店の常連でした。

 

 ■代議士秘書以後

仕えた代議士の落選以後、私は美容、フアッションの事業を立ち上げて、
女性をブランディングする仕事に携わりました。
ここでもまた、立ち居振舞い、話し方、表情の一挙手一投足が、
その人を演出する大きな要素になることを確信します。
カラー、歩き方、マナー、それらを習得し、女性の方達にレッスンを施しました。
代議士秘書時代、たくさんの選挙に関わり、特に候補者を議員にするために頑張った経験は、
とても大きな財産となり、レッスンに非常に役立っています。

1999年に東京に「株式会社レイコーポレーション」を設立しました。
当初は化粧品販売会社としてのスタートでしたが、
将来的にはこの会社を「個人のブランディング」をサポートする会社にしていこう
と言う目標を持っていたのです。

 

■途切れた滑走路

東京に会社を設立して数年後、私は食道ガンが発見されました。

悔しかった・・・。
ガンになった事ではなく、スタートした瞬間に滑走路が途切れた気がしたのです。
人生で初めて出会った”挫折”と言う言葉でした。

私は自分自身に誓いました。
『絶対にカンバックする。カンバックする時の株式会社レイコーポレーションは、
今度こそ「ブランディングサポート」の企業として』

食道ガンによる手術入院直後の心情は「Truth myself」「Be here now」
お読み頂ければと思います。

 

■ブランディングプロデューサーとして

私は政治家と経営者は、その分野の違いこそあれ、同じ要素を持っている存在だと確信しています。
それは、共に人の心を動かし、社会を動かす立場にいるからです。
その一挙手一投足のすべてが人を動かし、瞬間、瞬間の決定を下しているからです。

私はその大切な立場にいる方のブランディング、特に表情、話し方、物腰を
最高の表現にしていくお手伝いを致します。