明かりは平和の証

2014.11.02

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日本にも、まだ紳士がいました!

渋谷のハチ公前に、岩崎先生の姿を見つけました。知人の稲垣さんからのお声がかりで、「是非合わせたい方がいるので」と。その方はごった返す人混みの中に、すっとした佇まいで登場。

 

初対面の岩崎先生は、85歳。ダンディな紳士そのままに、柔らかな微笑を湛えていらっしゃいました。

私達は先生の行きつけの、トップスという近くの喫茶店に席を取りました。レトロだけど、全く古さを感じさせない昭和のままのお店です。

厚みのある一枚板のカウンターに並ぶのは、なんとサイフォン!運ばれたコーヒーを見ながら、先生はおっしゃいました。
「コーヒーは、まず目で愉しむ、この琥珀の色ね。そして次は香り、そして味わう」
だから、こちらのコーヒーカップはオフホワイト。先生が学生時代から、ずっとこのままだそう。なのに、決して古くない。時代の中に生き続けるって、こういうことなんだ・・・。

 b3c18ae9_o(稲垣さんと岩崎先生)

 

岩崎先生は現在も現役の照明デザイナー。昭和2年生まれの、戦争体験者です。なんでも、先生が特攻隊として飛び立つ年に敗戦になり、間一髪で生き残ったと言う。しかも東京下町大空襲をもろに体験の方。その静かな表情の中に、戦争は絶対にしてはいけない、という言葉が切実に語られます。

「今の日本は、まるで大政翼賛会のときと同じ様相です。秘密保護法が通ったときに、僕は、これは黙っていてはいけない、と心に決めたんですよ」

 

岩崎先生をご紹介されたのは、先生が亡くなられた土井たか子さんの熱烈な支持者で、そのゆかりのある私に、是非会いたいということからでした。

土井さんの逝去に、今後の日本の行く末をとても案じられているとの事でした。決して拳をあげて抗議するわけではありませんのに、その言葉の一言一言がずっしりと身体に落ちてくるのです。

 

先生は殆どの舞台照明を手がけて来られたそうです。
戦後間もなく、舞台が再現されようとしていたころ、男性のいなくなってしまったその世界に、若い先生が”お姉さん”達に頼まれて、一緒になって舞台を手伝ったのがきっかけだったとか。先生のそれからの照明家としての人生は、まるで時代のストーリーそのものです。
「小渕さん、ここのお店、明るいでしょ?照明が良いんですよ。良い照明は良い舞台を作るんです。でね、僕は思うんです。明るいと言うことは、そこが平和だって事なんだと。僕達はあの戦争の頃、電気を消して、アメリカの軍機の行き過ぎるのをじっと息を潜めている毎日を送りました。だから、戦争が終わって、自由に明かりをつけられたときの感動を忘れません」

 

「明かりは平和・・・」そう語る岩崎先生の眼差しは、凛として揺るぎのないものでした。土井さんを偲ぶ会に是非参加したい、そう仰いました。
「僕は土井さんには一度も会ったことはないけれど、でもおたかさんと呼ばせてもらいますよ。憲法学者であり、唯一平和憲法を守ろうとした人を、僕らは絶対に忘れてはならないのですよ」

 

別れ際、握手を交わしたその手は、照明文化を作り続けてきたデザイナーの手であり、そして人の生きる事の重みを感じさせる温もりでした。

少し前に脳梗塞で倒れ、施設にいらっしゃるパートナーは、ひとつ上の86歳。直前までプリマとして現役のクラッシックバレーの指導をしておいでだったと。毎日パートナーの食事のサポートに通ってらっしゃるそうです。

「僕は彼女の踊りに惚れましてね、だから彼女より少しでも長生きしなきゃなりません。」

 

戦争は絶対にダメと言い、そしてこんな言葉をさらっと言える男性って、今の日本に何人いるのかしら?

 

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