政府を監視しきれない私達の責任

2014.08.06

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最近、塩野七生氏の著書がマイブーブになっています。
2010年に出版された、”日本人へ”シリーズ「リーダー篇」の中に、唸る言葉がありました。

戦争は血を流す外交、外交はー血を流さない戦争

そうか!と思わず膝を叩いた。

 

戦争も外交ととらえれば、我々日本人の(いや私だけかも知れないが)、
視野狭窄の歴史観がガラッと変わってくる。

人類が言葉を持ち、そして戦う為の武器をもったそのときから、
人類の歴史は戦争の歴史でもあったのだ、と溜め息ながら納得するのです。

 

自分達だけの世界で完結するなら、戦争なんて起こす必要もないだろう。
しかし、いつなんどき、別の種族が攻めてくるかわからない日々にさらされてきた民族は、
やおら戦う武器を持たざるを得なかったと考えても、あながち間違いではないと思います。

 

悲しいかな、人間はその力を、今度は守るだけでは飽きたらず、攻める道具として進化させてきた。
所謂、侵略、そしてナチスのように、ユダヤ人虐殺…。

ちっぽけな我が国も、朝鮮半島、そして中国へと、大義を振りかざして攻めいった歴史を持っています。
色々な意見はあるけれど、やはり侵略と言わなくて、どう表現をするのでしょうか?

 

そして原爆投下と言う、人類が予想もしなかった絶対に消すことのできない”犯罪”をおかすことに。
日本はその犠牲者としての立場ではあるけれど、しかし冷静に見れば、日本国家が自ら引き起こしたそのリスクなのではないでしょうか?
そして、その国家、政府を監視しきれなかった国民の責任を、スルーする訳にはいかないのではと。

 

日々の生活に追われる中、今、日本がどのような方向へ進もうとしているのかを考えることは、
私達ひとりひとりの、最低の自己責任でもあると思うなです。

 

それは政治家に任せておけばいいとする私達日本人の意識のレベルを、
もっと磨かなければと思うのは、ひとりよがりの戯言でしょうか?

 

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