「なる」と「作る」

2014.04.06

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名脇役だった蟹江敬三さんが亡くなりました。
私にとって、彼は役者の中でも五本の指に入る大ファンでした。
彼の表情は絶品、といつも唸りながら魅せられていたものです。

 

その彼の、役に関するコメントが、紹介されていました。

「たとえば僕が刑事役で犯人の独白を聞いている場合、その刑事への感情をきちんと理解していれば、
自然な対応としての表情が生まれて行くと思います。
ですから、まずは相手のセリフをよく聞くということですよ。
そこは、基本中の基本です。
自分なりの反応なり、衝動は、相手の言葉を聞かないことには出てきませんから。

演じる上で一番大事にしているのは、衝動です。
人間が生きるってことは、心の衝動の連続だと思います。
衝動のない演技はありえない。
そのためには、役に魂を入れ『役になる』しかないんじゃないですかね。

『役作り』と言う言葉は、どうもピンと来ないんです。
役は『作る』ものではなく、『なる』ものだと思います。

最近は『なりきった』と思う瞬間があまりないですが、
舞台をやっている頃はそういう瞬間を感じたことはありました。
そういう瞬間が、俳優を続けさせる魔力みたいなものなのでしょう」

 

なんと含蓄のある言葉でしょう。
「役になりきる」本当にその通りです。
ちょっと目から鱗、でした。

 

私達は、つい自分自身の「ペルソナを作る」と言う表現を使いますが、
これって何だか嘘っぽい響きを感じながら、でも納得させようとしてきた・・・。

その、嘘っぽさ、の根底にある感情って、ここのところにあったのではないかと
あらためてうん、うん、と頷いているのです。
「なる」と「作る」とでは、根本から意味が違ってくる。

「作る」って、無いものを外から手をかけると言うニュアンスを感じます。
が、「なる」となると、そこには自らの責任や意思を感じるのです。
何よりも内からの、役者自身の衝動なしにはありえない。

これは屁理屈ではなく、それを演じるその人の価値観なのではないかと思うのです。

 

大好きな蟹江敬三さんが、人間と言う生き物を熟知し、このような価値観を持っていた方だと言う事を知り、
何だか、沢山の勇気をもらったような気がするのです。

彼の作品を、もう一度じっくりと観てみたいと思っています。

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