言葉は言霊、声は音霊

2014.01.25

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20140125

曖昧な表現と言えば、政治家を思い出します。

例えば、
努力します。
検討致します。
勉強させていただきます。
○○と思います。
△△のように聞いていますが…。
等々。

 

確かにキッパリと宣言するには、それなりの覚悟が伴います。
しかし政治家は、実行して結果を出してこそ政治家としての評価を受けるのです。
これは、商売でも同じこと。

 

曖昧な表現は、その人の自信のなさを表明してしまっているのですから。
聞いた相手は、こう思うでしょう。
「この人に頼んでも大丈夫かな」

 

キッパリと言い切る。
人は言い切る時に、必ず真っ直ぐに顔をあげます。
俯いていたら、宣言なんてできませんものね。
言い切れば、自ずとそれに向かいます。
結果を出そうと動き出すのです。

 

私もかつて、曖昧な表現をしがちなひとりでした。
むしろ、それが相手を気遣っていると言う勘違いをしていたのです。
それを指摘されたのは、私が代議士の秘書になった時です。
トラブルにはなりませんでしたが、私の曖昧な表現で、ニアミスを招いたのです。

 

「○○頃に伺います。」
と言う返答を農林相の事務次官に伝えました。
この「頃に」は、危険な言葉です。
相手とこちらの時間差が前後30分の誤差を生みました。

 

緊迫した議会の詰めの時でしたが、代議士のお詫びの一言で事なきを得たのです。
代議士は一言も私を責めませんでしたが、こう言いました。
「小渕くん、君の仕事は、正確に事実を伝えること。そして曖昧な表現は避けることですよ。」

 

私はこの時、曖昧な表現の裏にある自分でも気づかなかった『タカをくくっている自分』を発見したのです。
それ以来、自分の発する声、言葉の表現に、常に意識をもって発する事を心がけるようになりました。
それは、所謂謙虚さと言うよりも、責任をもって発すると言う方が当たっています。

 

その言葉は、自分にリターンするのですから。
そしてそれは習慣になり、スタイルとなって、その人を形成します。
そう、言葉は言霊、声は音霊なんですよね。

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